書いている文章が行き詰まってそれでもテキストに向かう姿勢を抜けたらもう書き出せなさそうなので、放置していたココに舞い戻る。良くないねえ、良くない。
『時をかける稽古場2.0』の稽古でスタジオに籠る日々である。初演時に結構なステージ数をこなしたし、試演会も演ったはずなのに、まだまだ鈍いところ・甘いところがテキストレベルでもプレイヤーレベルでも見えてくる。
その「余地」は怖くもあり、また甘美でもある。どこまで行っても完成しないのではないか、という不安と興奮。「更に面白くなる」と「まだ面白くない」は表裏一体なのだ。コップに水が半分、みたいなアレだが、二律背反ではなく混在している。
畢竟コメディは−繰り返し書いていることだが−観客の前でしか成立しない。どれだけ稽古しようが、どれだけ物語が高尚だろうと、舞台上で笑いが取れなければ駄作である。しかし同時に(とくに我々のような群像劇・集団芸的スタイルのコメディは)、入念な打ち合わせと意思統一が不可欠だ。チームスポーツであり、合奏なのだ。したがって、いかに「本番の結果が全て」だろうが稽古場で組み上げていくしかない。そして、そのとき唯一指針となるのは、自分たちのモノサシに他ならない。それを信じるしか、ない。
要するに、演ってみなきゃわかんねえけど、ウケると信じて演るしかない、てこと。ずっとそうだったし、これからもそうだろう。
でも、やるんだぜ。
客前でしか「成立し得ないもの」を「成立させる」。いや「成立するはずのものにする」、それが稽古の限界なのだ。だからこそ、知恵を絞り手を尽くす。箱を開けなきゃ解らないネコの生死、だからこそ生きられるようあの手この手を尽くすのだ。時には賽の河原で終わるけど、なんかその「恍惚と不安二つ我にあり(by前田日明)」みたいな混沌かつ濃縮した情念を感じる瞬間こそ、「コメディやってるぜ」と強く思うのだ。
さあ、もう少しコメディに浸かろうか。